[ 僧侶資格取得 ]の専門寺院です。「真言宗」の僧侶資格を取得したい、僧侶になる方法や僧侶のなり方がわからない方はお気軽にご連絡ください。

真言宗 密教寺院 牛久成田山[真浄寺]

出家・得度・僧侶資格取得のお問い合わせ 029-871-3210 info@fresh8.net
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宗教法人姫路成田山 別院

真言宗 牛久成田山 真浄寺

※2020年7月、地元の茨城新聞に掲載されました。

「人生第2幕」というテーマでの取材です。

当寺院で修行されている方が僧侶資格を取るための修行風景とともに取材をお受けになられました。

定年後等、第二の人生。人生で僧侶資格修行を始めるに遅いはありません。年齢・性別に制限はありません。


(1)僧侶になったからといって、僧侶の仕事の依頼が降ってわいてくるなどバラ色の世界ではありません。かなりの努力をしない限り僧侶の仕事の依頼がくることはほとんど皆無であると悲観的に考えておく必要があります。たゆまぬ努力と向上心、そして行動力、あるいは幸運に恵まれた人でない限り、僧侶として自立することは困難であり、他に収入がない人が、僧侶としての収入だけで、生活することはできないと考えることが現実的です。辛抱強く修行と努力を続けた人が、ようやく法務の依頼がたまにある位に考えておいた方が現実的であり無難です。努力、知識、智慧、活動を継続して始めて果実が実ります。


(2)僧侶になったとしても修行が終わったと考えてはいけません。修行と勉強が、まだまだ足りません。僧侶になってからが、僧侶の始まりであり、僧侶としては初心者の範疇です。継続して、机上の勉強と実践修行をしないと真の供養はできません。形だけの供養では仏尊に対して伝わらず、三密一致、本不生に至る即身成仏の体得修行が必要となります。








《 僧侶資格取得 》

僧侶になりたいと思っても僧侶資格取得ができる人は実際には限られています。

僧侶の資格を取るためには一般的にお金も時間もかかります。多くのお寺では修行期間が1年位かかり仕事を持っている人にとっては僧侶になることは難しいと思います。

お寺に住み込みながらの僧侶資格取得ということになると家庭のある人や仕事を持っている人には困難です。

これでは時間とお金に余裕のある人以外は僧侶の資格を取得することが困難です。

真浄寺では一般の方どなたでも僧侶資格を取得するために僧侶養成学校のような機能を持つ短期僧侶養成講座を設けています。

会社で働いていたり仕事を持っている人のためにお金の負担も少なく短期間に僧侶資格が取得できる僧侶養成コースです。

真浄寺の僧侶資格取得コースは年齢や体力、学歴などの制限はありません。

僧侶になることをあきらめている方や自分の都合の良いときだけお寺に行き僧侶の養成コースに出席し僧侶資格を取りたい方 はどうぞお気軽にご相談ください。



《 真言宗[ 密教 ]の僧侶資格を取得したい方は、牛久 成田山 真浄寺へどうぞ》

○働きながら、仕事を続けながら、仕事をやめずに僧侶になりたい、僧侶になる方法をお探しの方

○定年がなく、日頃の行いによって尊敬の念で接してもらえ、一生できる聖職をお探しの方

○僧侶になりたいので、お寺で出家をしたいとお考えの方

○学歴がないと僧侶にはなれないと言われているけど、学歴不問で僧侶になれる方法はないかとお探しの方

○年齢が高く体力に自信はないが、年齢不問で僧侶になる道をお探しの方

○知り合いに僧侶も寺院もないが、出家させてくれる寺はないだろうかとお探しの方

○真言宗 密教 の四度加行の伝授を受け、真言宗の僧侶になりたい方

○体力的に自信がないため、肉体的に修行が厳しくない寺をお探しの方

○仏教系の大学をでていない、仏教知識がなくても僧侶資格を取れる寺をお探しの方




●得度の儀式を受け、出家し、修行し、僧侶になりたい、僧侶資格を取得したい、阿闍梨になりたいという方へご案内

1.「得度の儀式を受けて出家する 」  

  ●僧名が授与されます。   
  ●度牒が授与されます。

  ■得度 喜捨金 (10万円)  

  ※過去、現在において反社会的勢力と関係有りの方、僧侶資格を
   公序良俗に反する利用をされる方、前科のある方、入れ墨
   のある方は、当寺では僧侶資格は取得できません。


2.「阿闍梨位を取得、教師の資格を取得」

  四度加行(十八道行法、胎蔵界行法、金剛界行法、不動護摩行法)
  
  ■伝法灌頂 喜捨金 (45万円)
  ※ご自身の資金繰りに合わせて分割での寄進納入もできます。
                 
  ■必要物品:実費
  ※念珠、作務衣、法衣、袈裟等、ご相談ください。
  

  ●僧階を授与。
  ●お寺の住職になる資格を取得。
  ●真言宗 阿闍梨。
  ●真言宗 教師資格。

  ※仕事のご都合、遠方等、事情により、修行はご自分
   のペースで結構です。
  ※有髪可。
  ※男女不問。
  ※年齢不問。
  ※学歴不問。
  ※無料宿泊応相談可。
※詳細は、お気軽にご相談ください。

■僧侶、お坊さんの仕事は、悩んでいる人の元気を取り戻す仕事です。

■女性の優しさや豊富な社会経験のある方に向いている仕事です。

■仏の世界は、老若男女、学歴差別のない平等な世界です。

   


○詳しくは、お問い合わせください。

牛久成田山 真浄寺
[牛久縁切り稲荷]

住所:〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15 電話番号:029-871-3210


《 僧侶になる方法 》

《 僧侶になるまでの流れ 》

 (1)「出家する」

1.履歴書と住民票(原本)を提出

2.得度式という儀式に出席(出仕)

3.戒を守ることを誓う

4.僧侶の名前を授かる

5.得度式が終了 < 所要時間は一時間~二時間 >

6.僧侶になる < 真浄寺の僧籍名簿に登録 >

※この段階の僧侶資格では、一般社会においては真の意味の僧侶として認められません。


 (2)「阿闍梨位の位を得る」「教師資格」「僧階」を取得 

1.四度加行という真の意味の僧侶になるための修行をする

※真浄寺では苦行をしません。立派な修行、苦行をしてもそれは自身の向上のためのもの。
どんな修行より、困っている人に手を差し伸べる慈悲心、優しさ以上のものはありません。

2.四度加行を終了(成満)

3.伝法灌頂という灌頂儀式に出席(出仕)

※真言密教の法を授かる最高の儀式です。

4.伝法灌頂の儀式終了

5.阿闍梨位の資格、教師資格、僧階を取得

6.真言宗 真浄寺に所属(僧籍)する僧侶として、一般社会において僧侶の活動をする。

※四度加行は前行と言われますが、実際は素晴らしい行であり、これをマスタ−すれば行の基礎となり、他の行はこの応用であるといっても過言ではありません。
 それ程重要な乗り越えなければいけない修行です。


(3)僧侶として活動する

1.まずは自宅等でお寺を開山し、地域に根ざした僧侶活動の拠点をつくる所から始めます。

2.悩み事、困り事の相談、心の救済を目的として仏教講話、地域住民の見守り、介護支援など活躍の場は自分次第です。

3.僧侶の仕事は広範囲にわたります。奉仕の精神で行う仕事です。

※悟りの智慧が覚醒するには僧侶資格を取った後も車の両輪である事相だけではなく教相も続ける必要があります。

《 出家 》

出家理由と住民票(原本)をご提出いただければ、とくに問題なければ どなたでも出家できます。

得度の儀式に出席し、戒を守ることを誓い、真言密教の僧侶としての名前が授与されます。


《 真言宗の阿闍梨資格、教師資格を取得する 》

四度加行という真言密教の僧侶として必要な修行が終了すれば、 伝法灌頂という儀式を経て、
真言宗の「阿闍梨位資格」、「教師資格」が取得できます。



僧侶になる方法、僧侶になるためには出家、得度が必要 》

一般的にお寺とは無縁の方が、僧侶になるためには、お寺の住職・坊さんに相談するところから始まります。

住職・お坊さんが僧侶になるための方法を教えてくれます。

お寺のこと、僧侶のことに詳しくない一般の人は、僧侶になるための方法については、書物やインターネットである程度のことは知ることができても、寺院の世界、僧侶の世界は特殊であるため、僧侶になるためにはどのようすれば良いのかを知ることは困難です。

僧侶の資格というものは師僧が、あなたを弟子にします(出家)、あなたは弟子として修行をした結果、大乗仏教に言うところの境地に至ったというお墨付き、仏教の法灯をあなたに受け継ぎましたという灌頂であり、民間資格です。

僧侶になる方法を確認できたとしても、宗派、本山毎に、あるいは師僧によって、修行内容、解釈の仕方、作法や基準が異なるため、自分の望む宗派、本山、師僧を探すことも念頭に置く必要があります。


僧侶になるには。僧侶・住職・お坊さんになるための寺院で修行が必要です。

僧侶になるための資格は国家資格ではありません。

仏門に入ることを出家と呼び、許可してもらうための儀式が「得度」式です。

僧侶になるためには、まず得度を受け、仏門に入ることが必要です。

僧侶ににる方法には直接寺院を訪ね、住職の許可を得て、修行する方法があります。

真言宗の僧侶になる方法を説明いたします。

出家については、真浄寺において認めれば、どなたでも出家ができます。

真言宗の僧侶資格である阿闍梨位の資格、真言宗の教師資格は、

四度加行を終了すれば取得できます。

僧侶になる方法、僧侶のなり方を探している。

僧侶になりたい、お坊さんになりたい。

真言密教の寺院 牛久成田山[真浄寺]、お気軽にお問い合わせください。



《 僧侶、お坊さんに向いている方 》

■1.社会人として立派に仕事をしてきた方(年齢は関係ありません)

■1.他人に優しい人、他人の為に何かしてあげたいと思う人

■1.自分の良い点には自信を持ち、他人の良い点も見つけ出すことができる人

■1.お金がない方に対しては無償でも葬儀をあげる事が自然にできる優しさを持っている人

■1.悩み解決のためには仏教以外のことも勉強する意欲のある人

■1.途中で物事を投げ出さず、毎日でも同じ行ができる根気がある人

■1.僧侶の収入だけでは生活は成り立たないだろうなと感じながら、それでも僧侶になりたいと思う人

■1.僧侶の本業は、ボランティア、社会奉仕、人を悩みから救うことが第一と思える人

■1.慈悲心のある人



《 真言密教の寺 牛久 成田山[真浄寺]へお気軽にお問い合わせください》

■出家しただけで、すぐに僧侶として実際に活躍、活動できるのか、また僧侶として社会に認知され、受け入れられるのか

■僧侶になるには、どうすればよいのかわからない方

■出家したい、出家するにはどうすればよいのか、出家する方法を教えてほしい方

■僧侶の資格を取った後は、どうなるの、どんな道があるの

■定年後の第二の人生は僧侶になりたい

■通信教育で真言密教の僧侶の資格を取りたい、僧侶になりたいけど、それって可能なの

■短期間、最短で僧侶になることはできるのか

■僧侶資格を取りたい

■僧侶養成講座・僧侶養成コースとは

■真言宗の阿闍梨になるには、教師資格を取る方法は

■関東地方、東京、千葉、埼玉、神奈川に近いお寺、真浄寺。全国から募集しています


《 僧侶になる方法 》

真言宗の僧侶になる方法を知りたい人、真言密教の僧侶になることが夢の人、出家して僧侶になりたい人はどうぞお読みになりご検討ください。

出家、得度、僧侶の資格を取りたい方、僧侶になるには、どのようにすれば良いのか、 僧侶になる方法とは何かを以下でご説明いたします。

僧侶になることが夢の方、出家して僧侶になりたい人は、菩提心が目覚めた方です。

僧侶の資格を取得するための第一歩は、まずは出家、得度から始まります。

出家する道以外に僧侶になる方法はありません。

僧侶は、お坊さんとも呼ばれますが、僧侶の資格に変わりはありません。

"お坊さんになるには"、"お坊さんになる方法"は、まず「得度」を受け、僧名、法名、戒名を授与され、「出家」することから始まります。

僧侶になるには、誰であろうとお寺で「得度」を受け出家するところから始まります。

最短で僧侶になる方法、僧侶になるためには、結局は、まじめに修行し僧侶の資格を取る一本道だけです。

僧侶になりたい方は、僧侶になるためには、お寺の門をたたきましょう。

出家のためのお寺の門は開かれています。

僧侶資格取得の為には、得度式を受け出家する必要がありますが、出家せずに仏道を歩んで行くことも良いことであり、これを「在家」と呼んでいます。

四度加行は、阿闍梨・教師資格を取ることを目標に、僧侶として救済力を発揮、活動するための、お坊さんになるための修行です。

お坊さんになることを希望される方は、お問い合わせください。


《 僧侶養成寺院 》

牛久 成田山 真浄寺は、僧侶養成学校のような高度なカリキュラムはございませんが、僧侶の養成育成の寺院として、 仏教文化の伝統が途切れることなく後世に伝わるよう努力いたします。

人々の苦悩と自らの苦悩を取り去るにはどうすればよいかと考え僧侶になりたいと思うけど、僧侶になる方法、 僧侶になるにはどうすればよいのかわからない方には、僧侶になるための仏門は開かれています。

真言宗の僧侶となり、阿闍梨になり、人々を悩み、苦しみの海から救いたいと決断された方は、「出家」、「得度」し、仏道を歩むことができると思います。

お寺では、親切丁寧に僧侶入門者を指導します。

出家受戒得度を終えれば、本格的に本当の意味での僧侶資格取得のための修行の道を進みます。

勇気をだして、真の僧侶になるための一歩を踏み出しましょう。

人を救おうとすることを第一に考える僧侶が一人でも多く増えることを願っています。

苦悩から人を救おうとする志を持った僧侶が集まれば大きな力となると思います。

このような志を持った方の出家をお待ちしております。

僧侶の養成についてのお問い合わせは、真言宗 茨城県牛久市にある牛久成田山真浄寺へどうぞ。


《 <僧侶になる理由> <僧侶の仕事> 》

働きながら、仕事をしながら、僧侶の資格を取り、将来、僧侶資格を活用し、世の為、人の為になる仕事をしたい、 人を助ける仕事をしたいとお考え方も多いと思います。

定年後の仕事、人生の歩み方として、残りの人生を社会奉仕、世の為人の為、ボランティア活動に捧げたい、 人の悩みの相談に応じ、苦悩から救ってあげたいなど、人の為に尽くしたいと一念発起し、僧侶になりたいと お考えの方もいらっしゃると思います。

どんなにお金を持っていても、どんなに地位が高くても、誰であっても人間である限り、苦しみ、悩みから逃れることはできません。

人を苦悩から救おうと考え、さらに自らも修行しようとする意志のある方は素晴らしい僧侶になれると思います。

人のために生涯を捧げよう、人を救おうという意志あれば、僧侶の資格を取得するにあたり、学歴も、性別も、年齢も関係ありません。


《 僧侶になった後 》

伝法灌頂を受けいわば正式の僧侶になった後は、 自灯明・法灯明・菩薩行で。

自分自身で努力を重ねていけば、なんとかなります。

心配はご無用です。

自分を甘やかさず、自分をいじめず、中道を行くことです。

牛久成田山 真浄寺
[牛久縁切り稲荷]

現在、護摩、水子供養人形供養先祖供養、霊の供養は、日曜日のみ行っています。電話は、毎日、受け付けています。

☆住職プロフィール

住所

〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15
(茨城トヨタ自動車牛久店の向かい側です。)

電話番号029-871-3210

牛久成田山 真浄寺からのお知らせ

  • [お知らせ]

    人形供養、遺品、仏壇、写真、仏像、形見、その他、物の供養は、ご都合の良いときにお越しいただき、境内の人形保管庫に入れておいていただければ、本堂において、供養をいたします。詳しくはお問い合わせください。

  • [お知らせ]

    縁切り稲荷、薬師如来、愛染明王のそばにある、縁切りわら人形、祈願木等は、ご自由にご利用ください。

  • [お知らせ]

    「茨城の怖い話(著者:寺井広樹,一銀海生)」という本に、|牛久縁切り稲荷|についての話が、掲載されました。

真言宗の-お坊さんになる方法は、得度式を受け、出家し、修行をする道だけです。
僧侶の資格を取得するための道案内は、-僧侶養成の寺院、真浄寺へお問い合わせください。

《 出家する方法がわからない、得度を受けたいと思う、僧侶になる方法はどうすればいいの 》

出家するということは師匠を探し、その方の弟子になるということです。

まずは自分を導いてくれ、修業の指導をしてくれる師匠を見つけなければなりません。

弟子は師匠を大日如来として見なければなりません。

師匠に対する弟子のふるまいは大日如来に対するふるまいとなります。

弟子を取るということは、弟子の将来や行為に責任を負わなければなりません。

いわば師匠は弟子の身元引受人、保証人ということでもあります。

このため師匠は弟子にするかどうかを良く見極めないと大変なことになります。

師僧さえ見つかれば、どうすれば釈尊の説かれた道を歩む僧侶になれるか、 菩薩道を歩む僧侶になる道、仏道を教えてくれます。

一生懸命、途絶えることなく修行を続け、菩薩道を歩んでかなければなりません。

僧侶の修行方法、僧侶になった後のこと、すべて、師となる僧侶、師僧の指導に従い ます。

師匠の教えに従えば、自分の努力次第ですが、立派な僧侶になれるはずです。

僧侶になりたいのであれば尊敬できる師僧を見つけ、出家し、修行することを考えましょう。

僧侶の道は、自分の努力次第で、すばらしいものとなります。

僧侶として修行をするお寺の人的、物的環境も、僧侶の道を順調に歩むためには 重要な要素となります。

真言密教においては出家しようと思った時点で、通常、同時に、菩提心が生じています。

出家することが、真言密教の僧侶の修行の出発点になります。

菩提心を起こした時点で、自分の中に眠っていた仏性、求道心が目覚め、悟りに向かって発展していきます。

僧侶になろうという意思が固ければ、心配する必要はありません。

相談する僧侶がいない場合は、どこのお寺でもかまいません、お寺の住職に相談 して見ましょう。

きっと僧侶になる方法を教えてくれます。

出家を受け入れてくれるお寺を紹介してくれると思います。

入門を許可してくれる師僧をさがすことができれば、自分のことについて、隠し 事なく、すべて話さなければなりません。

師僧は弟子に対する責任があるため、知らないことがあると困ります。

僧侶資格を取る目的が金儲け、営利目的を第一に考える方は真の意味の得度、出家はできません。


《 僧侶になるためには、まず出家得度の儀式を受けること 》

出家の儀式は、得度と呼ばれます。

出家の儀式、仏門に入る儀式、仏の道をあゆむ第一歩となるこの儀式は、 「得度」式と呼ばれます。

得度は、すべての真言密教の僧侶の出発点です。

僧侶になるためには、この儀式を受けることから始まります。

お寺や師匠の考えにもよりますが、真浄寺ではも得度を受けるための前提となる学歴、条件、性別、年齢、国家資格は必要ありません。

得度が終わっても、たいていのお寺では、正式の僧侶とはみなしません。

得度式の後、お寺ごとのやり方に従った修行を行い、修行が成満し、儀式を終了 し、師匠から、許可がおりれば、いわゆる正式の僧侶、社会である程度認められる僧侶となります。


《 お寺の実情と僧侶としての心構え 》

現在、お寺の数は、約8万、それに対して、僧侶の数は、その約10倍の70万 人位。

お寺の数より僧侶の数が多い為、僧侶が寺を持つこと、住職となることは、難し いと言われています。

お寺より、僧侶が多いにもかかわらず、住職のいない空き寺が増えていると言 われます。

親が、住職の場合、たいていの場合、子供に僧侶の資格を取得させ、お寺の跡 継ぎとして、まずは副住職の地位を与えて、親から子への寺の引 き継ぎが時間をかけて行われます。

このように一般のお寺というものは、親から子へ、子から孫へと、世襲制で、 引き継がれていきます。

大きなお寺、本山である寺では、修行僧が沢山属てしおり、その中で、選ばれ た僧が、その寺の最上位の貫首等の地位にのぼりつめていきます。

親が住職ではない場合、一般の人が、住職になる方法は、本山に、末寺に空き 寺が生じた場合、空き寺の住職の口を紹介してくださいとお願いする方法があ ります。

そうでなければ自分でお寺を建立と住職になる方法があります。

苦労して住職になったからといって、たとえば過疎地のお寺の住職になった場合 、僧侶の仕事だけで、生活をし、さらにお寺の補修・維持費を捻出することは 困難だと言われています。

ところで僧侶が日常どんな仕事を主に行っているかと言えば、お葬式など供養 や仏事です。

僧侶の本来の生き方、仕事は、釈尊の教えを広め、苦から人々を救うことです。

僧侶は、積極的に、仏の教えを機会があるごとに、衆生に広めていかなくては なりません。

仏事や作法も大事ですが、一番重要なことは、物心両面から、自分のできる範 囲で生きとし生けるものを救っていくということです。

いわゆる正式の僧侶、お坊さんになった場合、上求菩提、下化衆生ということ が第一であることは忘れてはなりません。

葬式や供養などを作法技術的にできることを目標にするのではなく、上求菩提・ 下化衆生に目的があるということです。

僧侶の道は、一心に上求菩提、衆生済度に邁進する道です。


《 なぜ僧侶になりたいのか、僧侶になる目的は何か、何でお坊さんになりたいのか 》

僧侶の目的は、上求菩提・下化衆生です。

僧侶になりたいと思うきかっけが、寺の跡継ぎとしてお坊さんになる場合であっても、 定年後の第二の人生として、お坊さんの資格を取る場合であっても、 僧侶の道は、上求菩提、下化衆生です。


《 僧侶になる方法、お坊さんになる方法 》

いわゆる正式の僧侶として一人前になっていくコースは、宗派や修行する寺、

宗教大学、宗教学校、僧侶の養成学校機関等によって異なります。

修行者は、師僧の指示に従って、信じ、無心に修行するだけです。

僧侶になろうという初志貫徹の意思があれば、僧侶になることは可能です。

僧侶になりたいという熱意があれば、お寺に行き、出家したい、得度を受け たいと、相談することも良いと思います。

仏教系の大学等を出た僧侶は、専門的宗教の教学と実務を学んでいます。

一般的に、仏教系の大学等を出ずに、僧侶になる人は、仏教知識ゼロ状態から 始めることになり、一生懸命勉強しないと、仏教系の大学出には、知識の面で 追いつきません。

得度についても、集団得度を受ける場合と、個人的に師僧のお寺で得度を 受ける道があります。

僧侶になるには、仏教系大学、その他僧侶養成機関を出なくてもなることができ

ます。

僧侶資格取得の門は開かれています。

僧侶になりたい人は、思い切って、この門をたたきましょう。

真摯な目的であれば、住職は受け入れてくれることでしょう。

師僧と弟子の関係は終生続きます。

師僧の元で、修行に励み、釈尊を目標とし、立派な僧侶になりましょう。


《 僧侶の資格を取った後 》

現実問題として、大きな寺に所属し、給料をもらう僧侶や繁栄しているお寺の

跡取り以外、僧侶の仕事だけで、食べていくことは難しいと言われています。

さらにお寺の建物を維持するためには修繕費が発生します。

お寺の修繕費は、一般家庭の建物と異なりひじょうに高額です。

仏事で使用する消耗品の補充費用もばかになりません。

僧侶の個人差もありますが、僧侶だけの仕事では、生活が成り立たたないかも しれません。

僧侶は衆生を救い、自分自身の成仏が目的であるためいたし方ありません。

年金で生活資金を賄い、僧侶の道を歩むということはざらにあります。

このような資金的に苦しい中にも、僧侶仕事を続けていく、生きがいは、上 求菩提・下化衆生ということに見いだせるのです。

お金儲けや生計の維持のために僧侶をすると考えると苦しくなりますが、衆生 済度という僧侶の道を生涯、歩み続けると考えると、清々しくすばらしいこと です。

上求菩提・下化衆生という僧侶の道に邁進した、結果として、当然の如く、生 活も成り立っていたという状態になるのが理想です。

金銭欲に惑わされることなく、仏道を歩めることはたいへん幸せなことです。

まさに正法を耳にすること難しです。

ああだこうだと妄想執着せず、何も考えずに仏の道を歩んで行けば良いのです。


《 僧侶の心得 》

釈尊の教えの道を歩むには折れない心と熱意が必要です。

僧侶の使命の一つには、釈尊の教えを衆生に広め、その教えを永遠に絶やす ことなく後世に伝えていかねばなりません。

釈尊は、すべての人々は、如来の智慧徳相を具有すると言っています。

僧侶には、このことを人々にわかってもらう役目があります。


《 僧侶の心構え 》

八正道は日々の生活の中にあり、生活、人生が修行です。

日々の暮らしが修行、刹那刹那が修行です。

生活の中に釈尊の教えを活かし、身につけていくことが修行です。

儀式、行事は、土曜、日曜、祝日は関係なく発生しますので、サラリーマン のように祝日に休みが取れるということがありません。

仏教を広める機会は時を選びません。

祝日に限らず、信者からの相談事もあります。

三昧の境地で、日々の生活に没頭することは、座禅であり、瞑想であり、修行 です。

僧侶は、身体の許す限り、一切衆生の救済、奉仕の精神で生きていかなく てなりません。


《 僧侶の仕事、未来、展望、社会奉仕 》

僧侶が、社会の為にその知識・経験を生かし、奉仕することは、弘法大師に代 表されるように、誰に指図されるわけでもなく行われてきました。

現代社会の要請は、僧侶に対して、積極的に社会にかかわり、能力を発揮して 欲しいというものがあります。

社会からの僧侶に対する期待は大きなものがあります。

たとえば、僧侶が、東日本大震災の被災者の心のケアや相談をする役割を果た したことを始まりとして、僧侶に臨床宗教師という立場から社会貢献を果たし て欲しいという社会の要請があります。

僧侶が行う社会的貢献は、衆生済度につながります。


《 僧侶の資格取得後は、菩薩行をなす 》

僧侶は、地蔵菩薩に代表されるように三界の衆生を救う為に、日夜、飛び回らな くてはなりません。

僧侶の資格を得たからには、地蔵菩薩のように活躍すべきです。

|僧侶資格を取得|すれば、そこで修行が終わりではなく、阿耨多羅三藐三菩提心を 得る為の修行、無上のこの上なき最高の悟りを得るの為の菩薩行を続けなくては なりません。

僧侶の修行は、皆、菩薩行です。

僧侶は、菩薩として、一切衆生に説法し、菩提心を起こさせ、悟りの智慧を得る まで導かなくてはなりません。

実際上、一切衆生のために菩薩行を行うというとは、すべての衆生に菩薩行を行 わなければならないというのはあくまでも目標であり、たとえば自分の回りの人 、何人かのためにだけしか尽くせなかったとしても、立派な菩薩行あり、国宝級 修行として評価されるのです。

菩薩行は、永遠に続く、仏道を歩む修行です。

僧侶には、修行を休みなく、毎日続けなくてはならないという精神的修行が伴い ます。

僧侶の資格さえ取得すれば、そこで厳しい修行は終わりと考える人もいると思い ます。

僧侶は、自分が菩薩であることを肝に銘じ、僧侶資格を取得後の人生こそ、大 事であることを認識しなくてはなりません。

僧侶は、自分が鏡のような心になったとき、自分の心に雲一つない真の魂を見た とき、偽りの世界であるこの世、火宅無常のこの世のすべてが、どのように見えるのか、 知りたいものです。


《 <出家><僧侶資格><僧侶になる方法><阿闍梨> 》

没後作僧という言葉があります。

僧侶は、出家・得度により、僧侶になりますが、現代仏教 において、生前に出家・得度をしていない一般の人が死ん だ場合、真言宗では、仏様の浄土の世界へは、出家したも のでなければ行けないという考えから、亡くなった人を引 導儀式により、仏弟子たる僧侶になってもらいます。

「没」した「後」に「僧」と「作」すということば縮めて 、没後作僧と呼ぶ。

生前に受戒し、出家・得度を受けていれば、没後作僧は不 要です。

真言宗の僧侶になるためには、出家・授戒・得度、四度加 行、伝法潅頂の修行をしなければなりません。

僧侶になるまでの道のりは、厳しいです。

この初期段階の修行を終えて、阿闍梨の資格を得ます。

真言宗の最低限の普通一般の僧侶になったということにす ぎません。

真言宗僧侶の一番最低限の僧侶資格です。

僧侶資格は民間資格です。

宗派、本山、お寺、師僧のそれぞれの方法と基準によって 、阿闍梨資格を認めています。

各宗派・本山の阿闍梨資格が必要な場合は宗派、本山ごとに 四度加行し、それぞれ取得することになります。

阿闍梨資格をとっても修行を続けないといけません。

お寺に所属し僧籍簿に載っていることが、僧侶として一人 前という証にはなりません。

仏教の勉強を続け、仏教知識を深めることも大事です。

僧侶にかかわらず、どんな仕事も一生勉強です。


《 <三昧耶戒> <上求菩提> <下化衆生> 》

真言宗の僧侶が、守らなければならない

戒の一つに三昧耶戒があります。

仏様・行者・一切衆生の三者と一体。

心は入我我入。

上求菩提・下化衆生を修行で刹那刹那で実現。

僧侶の修行は、一生続く菩薩行です。

《 僧侶の修行 》

僧侶の修行は、一生続けなくてはなりません。

少しでも仏様に近づくたためです。

人の短い一生では、到底、仏様の境地にたどり着けません。

今生で、たどり着けなくても、たどり着こうとする姿勢、修行が大切なのです。

お釈迦様でさえ、何度も、何度も、輪廻転生して、悟りを開いたお釈迦様にな ったという言い伝えがあります。

凡夫でも、誰でも、真の仏性があります。

自分の中にある仏性に気づけば、成仏、仏様になれると言われています。

僧侶になったからには、修行の道は長くとも、途中で修行をやめることは できません。


《 僧侶になりたい 》

僧侶になりたい理由は、人それぞれ、様々です。

同じ仏教でも、宗派がたくさんあり、どの宗派の僧侶になりたいのか、人それ ぞれです。

どの宗派でも仏教であることに違いはなく、お釈迦様の教えに従ったものであ ることには差異はありません。

少なくとも僧侶になるからには、上求菩提・下化衆生の教えだけは、実行して 欲しいものです。

僧侶とは、こうあるべきだという前提に基づき、人々の目が僧侶には注がれま す。

日常の行いも修行の一部という心構えで、生活する必要があります。


《 <真言密教の僧侶> <真言密教の教え> <釈尊の教え> 》

戒を授ける僧侶と戒を受ける者。

戒を授ける側からは授戒、戒を授けられる側からは受戒。

授けられる戒は具足戒。

実際の限られた時間の儀式で授けられる耳にする戒の数は、現代におけるの具 足戒は、お釈迦様の時代の具足戒ほど多くはありません。

師僧からの以心伝心により、多くの具足戒が伝えられ、心の縛り、作善戒・善 行促進につながるものとなります。

防非止悪・作善という戒の効果。

お釈迦様の没後、大乗仏教という呼ぶ道ができました。

弥勒菩薩だけが、後1回のみで、輪廻転生による修行が完了することになって います。

釈尊没後は、兜卒天にいる弥勒菩薩、マイトレーヤが、56億7千万年後 に、娑婆世界に生まれ、仏陀になるとされています。

お釈迦様は、仏教を一切衆生に広め人々を救おうと活躍しました。

我々の仏教は、仏教の区分で言うと大乗仏教です。

密教は、大乗仏教ですが、特に、|真言乗|と言われます。

真言宗は、密教であり、大乗仏教の中の真言乗が源流にあると思います。

大乗仏教は、一切衆生を救済する広く大きい乗り物の宗派という意味です。

大乗仏教の旗印は、諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静。

我々の大乗仏教は、在家中心の仏教です。

経典としては、般若経、法華経、華厳経のような大乗経典の中に、大乗仏教の 教えが、現れています。

真言密教も大乗仏教です。

真言宗は、弘法大師が、中国の僧、不空の弟子の僧、恵果から、密教を伝授さ れ、高野山にお寺を開山したところから始まります。

真言宗の教義は、「大日経」と、「金剛頂経」に基本があります。

真言宗の教義は、曼荼羅でも表現されます。

「大日経」は胎蔵界曼荼羅、「金剛頂経」は金剛界曼荼羅で表されています。

真言宗では、「身」、「語」、「意」の三密につき、仏様の加持力を受けて、 仏の世界に入り、即身成仏、仏になります。

即身成仏、悟りの体験は、言葉では表現できないので、言葉では他人に伝えら れない。

このことを言語道断と言います。

一切皆苦、この世を生きる間は、苦しいばかりである。

苦しみから抜ける道が、仏の道です。

苦しみを脱する道は、仏の道。

仏の道、僧侶が歩く修行の道は、悟りの智慧を得、解脱をし、涅槃の境地を目 指す道です。

苦から、脱するには、解脱・涅槃に入ることです。

このように仏教は、人々を苦から救う教えです。

仏教では、たとえ死んだとしても、その人が、仏の智慧を得て解脱しなければ 、輪廻転生し続け、生き変わり、死に変わりして、涅槃に至らず、輪廻の苦し みを味わうとされます。

苦は、生きているときだけではなく、死んでも、苦は、つきまとうことになり ます。

仏教では、死は苦です。

仏教では、死んでも楽にならないと説きます。

仏教の戒に殺生戒というものがあります。

殺生は、殺す行為の悪さだけではなく、死後も苦しませるという二重悪です。


この娑婆世界は、火宅無常で、一切皆苦の世界です。

お釈迦様は、常日頃から、、人生そのもの、すべてが、苦であると言われたと される。

生・老・病・死を苦と思う心、悩むという心、これらすべて、自分の心が思っ ているだけで、実際は、諸法無我、虚仮。

老いていく自分の姿に苦痛を感じるのは、他人ではなく自分なのである。

老いていく自分の姿をに苦痛を感じない人もいる。

苦痛を感じるか感じないかの違いは、明らかで、その人が、苦痛に思うか思わ ないかという心、考え方の問題なのです。

苦を生み出しているのは自分なのだから、ああだこうだと考えなければ良いと

いうことです。

このことを説明するだけで悩みから救われると思われる人がいたら、僧侶は、 そのようにしなくてはならない。



《 僧侶になるためにはどうしたらいいの 》

案ずるより産むが易し。

初志貫徹、継続するという意志があれば、貫徹できます、大丈 夫です。

真の僧侶になりたいという意思強固なれば、立派な僧侶になれます。

僧侶になる意思を固め、まずは出家することです。

僧侶とは人を救うこと、自らが修行することですから学歴も、年齢も、性別も不問です。

発菩提心。

初発心時、便成正覚。

菩提心を抱いたということで、自分の中に眠っていた

仏様になんとなく気づくのではないでしょうか。

僧侶になろう、僧侶になりたいという純粋な気持ちがあり、師僧が許可すれ ば、あなたは僧侶の道を歩み始めることができます。

僧侶になろうという意思が固ければ、心配する必要は ありません。

年齢、性別を問わず、どこかのお寺の住職に思い切って 相談して見てください。

自分のすべてを隠すことなく話し、入門を許可してく れる師僧を見つけましょう。


《 出家し、僧侶となって仏門に入る 》

僧侶になるために前もって必要になる資格はありません。

仏門に入る儀式、|得度|式と呼ばれる儀式を受ける 必要があります。

出家得度が終わっても、正式の僧侶とは言えません。

宗派、お寺ごとのやり方による、修行の道を通り、僧 侶となります。


《 お寺の実情と僧侶としての心構え 》

平成25年現在、お寺の数はも約7.6万、神社の数 は、約8.1万。神社の方が、お寺の数より多いです。

僧侶で、教師資格を有しているものは、約70万人と いわれます。

お寺の数より、僧侶、お坊さんの数が多いということ がわかります。

住職のいない空き寺が増えていると言われます。

現実問題とて、僧侶が、寺持ちになること、お寺の住 職になることは、たいへんなことであります。

お寺の住職は、ほとんど代々から親族による世襲で、 継承され、住職となります。

寺持ちでない僧侶が住職になるには、本山に所属、修 行し、空き寺、跡取りがいないお寺があれば、そこの 住職になれるように推薦してもらうという方法もあり ます。

寺持ちの住職でも、お寺によっては、僧侶の仕事だけ で、食べていくのは困難だと言われます。

僧侶が食べていくためには、僧侶の仕事は、お葬式や 仏事が、中心になります。

しかし、僧侶の本来の仕事は、仏の教えを広めること です。

僧侶は、積極的に、仏の教えを機会があるごとに、 説法しなくてはいけません。

仏事や作法も大事ですが、一番重要なことは、生きと し生けるものを救っていくということです。

僧侶、お坊さんを志す方は、教師資格を得、葬式や供 養などが、できるようになることだけを目的としてはいけません。

僧侶になりたいという方は、一途に衆生済度を目的と し、その情熱を絶やすことなく、進んで行くことにな るでしょう。


《 僧侶になる目的、僧侶資格の活かし方、社会貢献 》

僧侶になる目的は、それぞれ違います。

親がお寺の住職で、その跡継ぎとして僧侶資格を取る 者、定年退職後僧侶資格を取りの定年退職後第二の人生として僧侶の資格を取得 する者、僧侶になる目的や年齢は、様々です。

僧侶に対して、もっと積極的に社会にかかわり、能力 を発揮して欲しいという社会的要請があります。

たとえば、僧侶が、東日本大震災の被災者の心のケア や相談をする役割を果たしたことを始まりとして、 僧侶に臨床宗教師という立場から社会貢献を果たして 欲しいという社会の要請が、明確となりました。

僧侶は、仏事だけではなく、社会的貢献をしていかな ければなりません。

社会に貢献することは、衆生済度につながります。


《 僧侶になるまで 》

僧侶は、宗派、寺院によって、教義、修行方法等が異 なります。

従って、宗派、寺院によって、僧侶になっていく、過 程も異なります。

お寺の住職は、ほとんど世襲制であるため、お寺の住 職を継承するためには、僧侶資格は必須です。

仏教系の大学等に行かなくても、僧侶になろうという 強い初志貫徹の意思があれば、僧侶になることは可能 です。

修行を指導してくれる師僧、お寺が見つかれば、僧侶 になることはできます。

僧侶になりたいという熱意があれば、見ず知らずのお 寺に行き、出家したい、得度を受けたいと、相談する ことも良いと思います。

仏教系の大学等を出た僧侶は、専門的宗教の教学と実 務を学んできています。

仏教知識ゼロ状態から始める人は、一生懸命勉強しま しょう。

得度について、仏教系大学の課程を通じて得度を受け 場合、個人的に師僧を見つけ得度を受ける場合など、 得度を受ける道はそれぞれです。

このように、僧侶になるには、仏教系大学、 |僧侶養成機関|、寺院で修行を受けるなど、当該機関、師 僧により、認められれば、僧侶の出発点に立つことが できます。


《 僧侶資格を取った後の僧侶仕事、活動 》

僧侶になっても、僧侶だけの仕事では、生計は成り立 たたないかもしれません。

定年退職して僧侶になった方は、年金や退職金を生活 資金として、僧侶の活動をつづけていくこともあると 思います。

お金儲けのために僧侶になるのではなく、衆生済度と いう僧侶の道を生涯、あゆみつづけていくことは、た いへんすばらしいことです。

その結果として、生活が成り立っていくことになると 言われています。

衆生済度だけを考えていれば、金銭欲に惑わされるこ となく、仏道をあゆめると思います。

何も考えずに仏の道を歩んで行けば、仏様が、養って くれると言われています。

仏教、仏の教えとは何なのか。

このことを解き明かし菩薩道を歩んで行きましょう。


《 僧侶の心得 》

仏教に対する情熱的な信仰心が必要です。

仏の導きを信じ、人々に、その教え広め、仏教の灯を 消すことなく、後世に引き継いで、すいかなければな

りません。

お釈迦様は、自分だけではなく、「一切衆生、悉く皆 が、如来の智慧徳相を具有す」と言っています。

衆生は、すべて仏様です。

ただ鏡の前にに雲がかかっていて、それがわからない だけです。

僧侶になることは、仏弟子となり、人々皆仏様である ことを認識してもらい、仏様として生活していくこと を認識してもらえるよう指導していくことが目的だと 思います。

僧侶は、人々が、智慧徳相が備わっている如来である ことを悟らなくてはなりません。

人にも仏教の教えを伝える人のことです。

世間虚仮、唯仏是真。

目に見えている社会は、すべて仮の姿で、虚構にすぎ ない。

唯一、真実で信じられるものは、仏様の教えだけであ る。


《 僧侶の心構え 》

お寺の朝は早いです。

修行、作務等は朝早く始めましょう。

師僧や先輩の仕事、修行を見ながら学び、色々なこと を身につけていきましょう。

法事、葬式、供養、お寺の行事などは、土曜、日曜、 祝日は関係なく発生します。

僧侶は、信者様を第一優先に考え、対応しなくてはな りません。


《 煩悩即菩提 》

煩悩があるから、その反省心として、その逆といってもよい所 に位置する心、菩提というものを意識できる。

病気になれば、その逆である、健康を意識でき、健康になろう と努力する。

病気即健康である。

煩悩即菩提、この言葉の意味には、色々な解釈があります。

煩悩があることが、悟りの智慧を得るための手助けになるよう な解釈もあります。

凡夫の僧侶は、煩悩があるのは当たり前。

逆に煩悩があることが、悟りの智慧を得る原動力となるような 解釈もされます。

煩悩があるからこそ、煩悩があることを認識し、それにより、 煩悩、即、究極のゴールである菩提に至ることができるのでし ょうか。

瞑想修行を続け、煩悩を滅死、苦から解放されるという悟りの 智慧を得るという修行コースを行わず、煩悩即菩提、涅槃成仏 、解脱、悟りに至ることは、凡夫たる僧侶には難しいと思いま す。


《 四諦、八正道、人生皆苦 》

お釈迦様の教え、仏教、仏の教えは、人間は、生まれてから、 死ぬまでの一生が、「苦」であると説き、この「苦」を取り除 く、方法を明らかにしたものです。

生まれてから、死ぬまで、人生は苦であることを知っているか のように赤ん坊もオギヤーと泣いて生まれてくる。

ワッハッハと笑って生まれてくる赤ん坊はいない。

人は、死ぬまで、一生、苦しみ、悩み続け、死ぬ間際になって 、はじめて、なんで悩んでいたんだろうと気がつく。

一体、苦しみとは、なんだったんだろうか。

死んだ後まで、悩み、苦しみは、追いかけてこれない。

自分の意識が、作り出していただけのものであったのではない だろうか。

意識が、無くなれば、悩みも苦しみもないではないか。

それならば、死ななくても、生きているうちに、苦しみ、悩み など、意識から、除いてしまえば解決するではないか。

お釈迦様は、何度も、何度も、人生は、苦であると説き、警鐘 を鳴らし続けたという。

娑婆世界は、火宅無常の世界であり、人生は、浮かれている場 合ではない。

人生が、苦であることに、一刻も、早く気がつかなければなら ないと説く。

そして、お釈迦様は、この「苦」から、逃れる具体的方法を示 しました。

それが、四諦・八正道です。

四諦は、苦・集・滅・道の四つのことです。

人生は苦である。自分の心が苦となるものを集めているから苦 になる。

苦は、自分が、集めたもならば、自分で、その苦を滅すること ができる。

その苦を滅する方法を示す道がある。

その道として、具体的に示した方法が、八正道です。

八正道とは、正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・ 正定の八つです。

自分の心が、正しく見たか、正しく思ったのか、正しく語った のか、正しく行動をしたか、正しく生活・人生わ送っているか 、正しく精進しているか、正しく念じているか、以上を確認し 、反省したうえの集大成として、最後の「正定」となる。

禅定の定、正しく身心を安定させ、苦から脱出するという意味 です。

要するに、人生は苦であり、それは自分で作り出したものだか ら、自分で消滅させることができる。

消滅させる方法を具体的に示したものです。

中道の精神で、偏らず、物事を見つめ、考え、鏡のように、す べて何もかにも、平等に写す、そのような精神にて、苦が時折 り顔を出しても、都度、消滅させ、そういった人生を送ること が、仏の教えです。

先祖や親の因果が、子に報うことはあるか。

仏教において、縁・因果の法則は、非常に重要である。

事実かどうか明らかではないか、お釈迦様に対し、弟子が、 外道は、生きている者の善行・功徳を死者、故人に回 向すれば、故人が、報われると言うが、そういう効果はあるの かと問うた。

これに対して、お釈迦様は、石を拾い、その石を井戸の中に 投げ入れた。

石は、当然、井戸の水の中に、ポチャンと音をたてて、沈んで いった。

お釈迦様、曰く、悪い行いをした者は、この石の如く、沈み、外 道が、どんなに回向
しても、浮かんでくることはない。

これは、悪いことをしたら、その因果は自分かかってくるから 、後から、善行を積んでも、悪いことは消えないから、悪 いことをしたら、取り返しがつかないという戒めである。

親が悪いことをして、石の如く、井戸水に沈んでも、子供が 、悪いことをしない限り、石の如く、井戸水に沈むことはな い。

親の因果は、親だけの因果であり、子供の因果は、子供の 因果によって生じたものである。

僧侶は、先祖の行いが、原因で、子孫がその報いを受けて 困っているという相談を参拝者から、受けることがある。

僧侶の役割、仏教の役割は、人々の悩み、苦しみを除いて あげることにある。

真なる仏は、自分の心の中、心の中は、広大で、空の宇宙 空間と同じ大きさの領域、法界があります。

これは、一切が平等で畏怖の念もない心の世界、秘密荘 厳心です。

僧侶は、菩薩行を続け、この心の世界に到達することが、 最終目標です。

今の自分自身が、仏であることを認識するまでの 過程を修行と呼ぶこともできます。

難行苦行しても、難行苦行しなくても、この身こ のままが仏であることがわかることが修行です。

仏であっても、菩薩として、克服すべき課題があ る場合は、肉体が死しても、魂は、さらに輪廻転 生し、満足いくまで修行を続けることになります。

ありがたい、ありがたい、感謝、感謝、それだけ。

何も求めない。

川の水のように流れる心は、少しもとどまらず、 流れるから濁らない。

執着しなければ、日々、幸福。

心が空なれば、心が鏡なれば、 刹那にあるがままにすべてを写す。

同じものが何回写っても、執着し ないから、常に新しい。


[僧侶になりたい方、僧侶の資格を取りたい方、 得度を受けたい方、出家したい方へ]


|得度|出家|の寺院。|僧侶の資格取得と出家|は、茨城県牛久市にある牛久成田山真浄寺へ。


《 僧侶になりたい方、お坊さんになりたい方への道案内 》

僧侶資格を取ること、お坊さんになるには、得度式という儀式後、世俗の世界から出家し、 仏弟子、僧侶となる。

得度とは、仏の世界である彼岸に「度(わたる)」ことであり、そのため、 仏の弟子になる必要があります。

仏弟子としての僧名(法名)と、仏弟子として守るべく戒律を授かります。

住職になったり、弟子を指導する僧侶になるためには、阿闍梨となり、教師 資格を得、僧階を取得する必要があります。

四度加行という修行を終えた後、伝法灌頂という「大日如来より伝承されて きた秘法を伝授する儀式」を受け、阿闍梨となり、真言宗の教師資格を取得し、僧階 が与えられます。

この段階で、始めて、僧侶としての出発点に立てたと言うことができます。

ここから、一生涯をかけて、本格的な修行が始まることになります。

仏教を学びたい、人々のため、社会のために何かしたいと思われた方。

それは、心の叫びです。魂の叫びです。

それに従いましょう。

仏教を学び始める時期、僧侶になりたいと思う時期に、遅いということはありません。

仏教に関するの知識がなくても、今からでも、学べばます。

定年退職を機会に、今までとはまったく別の仕事をしたい方、人々のた めに、一生できる仕事をしたい方、子どもが独立し時間ができた主婦の方、地域社会に貢献したい 方は、僧侶の資格を取得し社会貢献を実践することもお考えください。

年齢、性別、学歴学問にかかわらず、仏教を身につけ学び、僧侶になることは可能で す。

僧侶になりたい方は、牛久成田山真浄寺で修行される方を個別で指導いたします。

お寺離れがと言われる中、僧侶となり、釈尊の教え、仏教を広め、人々を救えるよう共に努力 することは素晴らしいことです。

人々の苦しみ、苦悩を解決、取り去り、救うことが、僧侶の役目です。

人々の悩みを解消する方法を、仏教の教えの中から学び、それを実践す ることが、釈尊の教えです。

どうすれば人々わ悩みから救ってあげられるか、日々考え、実践 するのが仏道です。

僧侶になりたい方、僧侶の資格を取得したい方は、牛久成田山真浄寺の

門をたたいてください。

僧侶になりたい方の年齢、性別、学歴は不問です。

師匠となってくれる僧侶がいないと僧侶になれませんので、僧侶から、あなたの師匠にはなりません、 あなたを弟子にはいしませんと言われたら、自分を弟子にしてくれる僧侶を探す必要があります。

仏教を学ぶことは、生きる喜び、悩みからの解放を学ぶことです。

人々に喜びを与え、苦しみを取り去るということが、僧侶の仕事です。

人々に喜びを与え、苦しみを取り去る能力を身につけるためには、仏様 に対する帰依・信仰心の強さ、経験、勉強が必要となります。

僧侶資格を取得したらもう勉強しない、僧侶としての実践経験ができな いという状況では、僧侶とは言えません。

僧侶の資格を取得し、真言宗の僧侶になれば、悟りを得られるのか

出家し、僧侶になることは、娑婆世界にいながら、仏世界に、より近 づいたといえるのでしょうか。

「悟り」は、出家と違います。超越したものです。

出家と悟りは、概念、次元が違います。

出家すれば、悟れるというものではありません。

出家しなくても、悟れます。悟りとは何でしょうか。

出家し、僧侶になり、その目標とするところは、悟りの智慧を得ること です。

悟り世界に入れば、仏世界に、より近づいたと感じられはずです。

悟りの世界に常住する覚悟はありますか。

本人の認識上では、人間世界から、別世界、仏に近づいた世界に住むこ とになります。

阿頼耶識、経験、知識がある有情が、悟りとは何なのかわからない、 あるいは一瞬だけ、数回だけ、あるいは時々だけの「悟り」ではなく、 常に、悟りの世界に身を置く覚悟はあるのか。

人間の食欲、性欲、愛欲、金銭欲、名誉欲、欲しい欲しい多財餓鬼の心、 他を蹴落とし頂点に立とうとする修羅の心等を捨てることができるのか。

修行の結果、三毒が薄れ、恨み辛みを言わない、怒れない自分で良いのか。

恨むこと、憎むこと、怒ること等の感情的なものを捨てることができるか。

無分別智を超え、後得の有分別の智を得て、一切有情無情と一体同化、 自然にわき出る親切心、見極めながら一切を救う仏の活躍ができるか。

そんな自分になれますか。

釈尊は、出家後、苦行をしましたが、悟りを得られなかったと伝えられています。

その後、瞑想に没頭し、悟りの智慧を得られました。

僧侶資格は、日本では、一般的に、時間とお金を費やせば、通常人であれ ば、取得できると言われる資格です。

しかし、悟りの智慧の取得、さらには悟りの世界に日常的に常住し、それ を苦に感ずることなく過ごし、仏の活動をすることは、非常に難しいと思 います。

この域に達することが、目標です。

僧侶は、お釈迦様の教え指標に、生き、人生を送ることがすべてです。

お釈迦様の教えは、すばらしいものであり、世の中を平和にする教えで す。

仏教は平和の教えです。

素晴らしい教えです。

厳しい修行を行えば、立派な僧侶になれるといものではありま せん。

如何に釈尊の教えの境地に近づくことができるかが修行です。

どうすれば、釈尊の境地に近づくことができるかを考え、試行錯 誤を繰り返すことが修行です。

そのためには、僧侶は、釈尊の教え、仏教の知識を学ばなくてはなり ません。

僧侶は、一切衆生を可能な限り救えるよう、試行錯誤し、救うのが、 僧侶の仕事です。

僧侶は、確固たる決意と覚悟が必要です。

僧侶になる第一段階の入門で、この確固たる決意と覚悟を持たなくては なりません。

出家儀式である得度儀式の時には、僧侶として、人生に対する決意を固

めなくてはなりません。

得度式では、師匠となる僧侶から、僧としての名前を授かり、得度儀式

を終え出家しましたという証しの度牒という証明書が発行されます。

僧侶は、般若心経、理趣経、観音経などのお経や真言の真意を身をもっ て学び、円滑に唱えられるようにしなくてはなりません。

お経や真言を繰り返し唱えていると、不思議にも、自らの心、自らの魂 が、共鳴し、お経や真言の真意を教えてくれるでしょう。

僧侶の仕事は、一切衆生を救うことができるすばらしい仕事です。

僧侶は、釈尊と一体となることで、すばらしい人生を送ることがで きます。

人間は、なぜ、悩むのでしょうか。

なぜ、年をとるのでしょうか。

それは生きているからです。

僧侶は、人間の苦悩に耳を傾け、解消する手助けをするのが仕事です。

一切衆生は、本来無一物、実体がない、本来、苦しむということもない のです。

何も考えない、無の境地で生きるように僧侶は、一切衆生を導く必要が

あります。

無心の境地で生きる生き方を習得するとこの世が浄土になります。

無の境地、無念無想とは、無意識の状態や気絶、 熟睡状態を意味するのではない。

何事にも執着しないことである。

本当の意味のご利益、ご霊験、お陰とは、何事にも 執着しない自分の内心より湧き出る幸福感である。

この世のすべては、仮の姿、虚です。

空です。

何もないのではなく、仮の姿が存在するのです。 

無の境地で生きる生き方が空の世界になじみます。

僧侶になることは仏になることが目標です。

自らが仏であることを認識し仏として生きること。

見性成仏、即身成仏、この身このままが前世から 輪廻転生してきた魂であることがわかること。

苦楽のある輪廻転生の繰り返しから抜け出ること、解脱することが 最終目標です。




お釈迦様が指摘した四苦八苦は、現代でも、人々、共通の苦しみです。

牛久縁切り稲荷の縁切り藁人形の怪談が、本に掲載されていました。

僧侶が、日々の生活の糧を人々から布施されるにはどうすれば良いか(その1)

僧侶が、日々の生活の糧を人々から布施されるにはどうすれば良いか(その2)

不思議なるかな、お釈迦様と同じ仏心を凡夫も同じ仏心を備えている

僧侶の説法と傾聴(その1)

僧侶の説法と傾聴(その2)

僧侶の修行

僧侶になる方法(その1)

僧侶になる方法(その2)

僧侶になる方法(その3)

仏の教えとは

仏教とは慈悲の教えです

仏法僧とは

仏説と大乗経典

仏説と三蔵

大蔵経(だいぞうきょう)

龍樹と大乗仏教

世親と大乗仏教

密教と大乗仏教

スリランカの仏教

仏教伝来、仏教の三国伝来

厩戸王、厩戸皇子、聖徳太子の時代以降の仏教

無明について

縁起について

真言、マントラ、陀羅尼と密教

理趣経について

理趣経の大楽の法門について

理趣経・十七清浄句

密教と顕教について

タントラ密教、左道密教、邪道密教、邪悪密教について

|唯識派|瑜伽行唯識学派| について

|菩薩| について

人間は、|死後|どうなるのか

|真諦|と|俗諦|、|仏の世界の真理|と|人間世界の真理|

|僧侶資格取得|後の心得

僧侶の修行目的は苦からの解脱

天界に住む天人の苦るしみ

四諦の三転十二行相

四無量心の修行

思業、思己業、三業とは

思僧侶 資格 取得、僧侶になりたい、僧侶になる方法、得度、出家は、|真言宗 真浄寺。東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県に近い寺院です。

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仏教用語

牛久成田山 真浄寺

住所
〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15
茨城トヨタ自動車牛久店の向かい側です。
■牛久厄除け不動尊 ■牛久縁切り稲荷

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