前のページ    TOPページへ



僧侶の養成。お坊さんなるには、まず出家得度から始まります。



僧侶になるために必ず通らなければならない道が、出家|得度です。


得度の儀式を経て、僧侶の第一歩を歩み始めるということになります。


得度とは、度を得ると書きます。


度とは、渡るという文字からさんずいを取ったもの。


度を得るとは、俗世間を越えて、仏の世界に渡る機会を得るという意味です。

仏を求める菩提心に目覚め、火宅無常の娑婆此岸から、彼岸、仏の世界に入り
修行を始めるということになります。


得度の儀式を得度式と言います。


出家得度は、世間から彼岸という向こう岸に渡り、戻らないという覚悟、一人で
も多くの人々を救うとう覚悟、修行を続けていくという覚悟、戒を守り、釈尊の教え
の灯火を常に見ながら、たゆまなく、サイの角のように、まっすぐに仏道を歩み続けるということになります。



電話でのお問い合わせは029-871-3210

〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260−15

|得度|、|出家|、|僧侶 資格 取得|、|僧侶になる方法|、|僧侶になりたい|、|阿闍梨|






思業、思己業、三業とは

心に思っただけ、考えが浮かんだだけで、業が生ずる。

心の業である。

これを思業という。

善なる思いであれば、善業。

善なる思いを思っただけで、口に出さず、行動に移さなくとも、誰にもわからずとも善業。

身体が不自由で動こうと思っても動けない人が、善なる思いをいだけば善業である。 悪なる思いであれば、悪業。

悪なる思いを思っただけで、口に出さず、行動に移さなくとも、誰にもわからずとも悪業。

顔はニコニコしながら、あるいは優しい言葉を発しながら、心の中では、悪なる思いをいだけば、悪業。

心に思っただけ、考えが浮かんだだけで止まらず、それを行動に移しても、別の業が生ずる。

行動の業である。

これを思己業という。

思いが己に執着して、ついに行動に出る。

善なる行動であれば、善業。

悪なる行動であれば、悪業。

心に思った意思で行動にでる場合、その内容を三つに分ける三業。

心、思い、考えがはたらく、これを「意」業という。

心、思い、考えが、言葉になって口から出る、これを「口」業という。

心、思い、考えに基づき、身体的行為でる、これを「身」業という。

これをあわせて身体的な行為の一組として、身・口・意の三業という。

人間の身体的な行為は、この身・口・意の三業により行為される。

善なる考え、善なる言葉、善なる行為による身体的行為は、善業。

悪なる考え、悪なる言葉、悪なる行為による身体的行為は、悪業。

いずれの業にしろ、行動や言葉や思いの、源泉は、心である。

すべの根源は、心である。

修行により、人間本来持っている仏心に目覚める必要がある。





得度、僧侶入門、僧侶 資格 取得

得度、僧侶入門、僧侶 資格 取得 得度、僧侶入門、僧侶 資格 取得

〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260−15

TEL.029-871-3210
メール:info@fresh8.net



→アクセス