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僧侶の養成育成。僧侶になる方法、僧侶になりたい方、僧侶になるためには、まず僧侶の資格を取る。出家し得度式を受け、僧侶になり、阿闍梨になる

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|唯識派|瑜伽行唯識学派|について



ヨーガ、瑜伽行による瞑想をして、悟りの智慧を得た状態、
仏の境地が、唯識、ただ識あるのみの状態。
唯識の心の状態は、仏の境地。 凡夫の日常生活の境地ではありません。 この世のすべてが、空、ただすべてのものが、ただ写るだけ
の鏡の境地の心。
読んで字の如く、ただ、識があるのみ。
仏の悟りの智慧である。 たとえば仏から見れば物はあっても、すべての物はただ心に
写っているだけ。
物があろうがなかろうが、何も変わりはない。
きれい、きたないものない。 物の存在を認識する、きれい、きたない、良いにおい、くさ
いにおい、これらを凡夫の心は認識する。
仏は、物の存在を認識しない、きれい、きたない、良いにお
い、くさいにおい、これらを認識しない。
凡夫の心は、一つ一つの物の識別、認識、生み出している。
脳は、今までの生きてきた癖として、考え、見たり、聞いたり
、考えたりしてしまう。
鏡には、きれいな物、きたない物、何でも写る。
凡夫は、物が、きれい、きたないと認識する。
すべてのことは、脳、心が、物を意識し、見させているだけで
あって、仮の物にすぎない。
悟りの境地に至れば、物自体は存在していたとしても、ただ見
えているだけ、すべて物、宇宙に自分自身も溶け込み、すべて
が自分である、その自分の存在も認識しない空の世界になる。
仏様は、何が写ろうと、きれいも、きたないも、何等感知せず
、ただ写っていることが、鏡のように心に、識に写っているだ
けである。
この境地に自分が住すれば、すべての物、すべての現象は、物
でも、現象でもない。
悟りの境地に至らなくとも、たとえば騒音の中を歩いていても
、騒音で騒がしいにもかかわらず、他のことに意識の集中が移
った場合、騒音は存在しているが、一瞬、まったく、聞こえな
くなることがある。
他のことを意識するという点は、唯識とかけはなれているが。




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