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僧侶の養成育成。僧侶になる方法、僧侶になりたい方、僧侶になるためには、まず僧侶の資格を取る。出家し得度式を受け、僧侶になり、阿闍梨になる

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厩戸王、厩戸皇子、聖徳太子の時代以降の仏教


厩戸王、聖徳太子は、仏教を大事にし、政治に取り入れ、三宝として、仏法僧を敬った。
厩戸王、聖徳太子は、法華経、維摩経、勝鬘夫人の説法の勝鬘経の三経の内容を説明した
三経義疏を著した。
厩戸王、聖徳太子の仏教を積極的に知りいれる政策の影響もあり、お寺を建立し、聖徳太
子以降も仏教の信仰と中国、インド仏教の流れを組み入れ、吸収していくことにな
ります。
インドの神をそのまま取り入れるのではなく、本地垂迹説により、日本の仏様が、
本体であり、インドの神はいわば化身であるという態度で、他国の神を受け入れて
いくことになる。
本地垂迹説の考え方を生み出したのは、外国から輸入される仏教を受け入れるにあ
たって、神様と仏様の関係を説明し、日本古来の神を擁護し仏様受け入れに反対す
る人々とある意味、妥協する為に日本古来の神の本地は仏様であり神様その化身で
あるといった考えで、発案された論理と言われます。
つまり、神様と仏様が、本質は、同一尊であるという神仏習合の論理です。
その後、明治に至って、外国から輸入された仏様は、日本のものではない、日本古
来の神様とは、まったく別物として、明治政府の神仏分離令によって、聖徳太子以
来の平和主義の仏教は、排斥されることになる。
厩戸王、聖徳太子後、政府により仏教は保護され、民衆に浸透していくことになる。
奈良時代には、南都六宗の学派が現れる。
三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の六学派です。
日本の律宗は、有名な唐の鑑真が、日本に伝えた、戒律宗のことであり、唐から僧
の守るべき戒律、戒壇を、失明に至るも、なんとか日本に戒律を導入するために苦
労した僧です。
鑑真は、東大寺、観世音寺、下野の薬師寺に三戒壇を設置。
このお寺の戒壇で、戒律を守ることを誓ったものだけが僧侶として認められること
になる。
僧が戒律を守るという概念が導入されたことになります。
鑑真は、律宗の本山である唐招提寺を創設しました。
戒壇で戒を授からないと僧として認められず、僧侶の数、僧侶自身も国家によって
、把握、管理され、僧侶の布教は認められなかったと言われる、反面、国家から保
護されていたため、政治、国家権力に接近することになる。
その結果、南都六宗の僧侶の中には腐敗したものもでたと言われる。
平安時代には、今日まで続く、弘法大師空海の真言宗と伝教大師最澄の天台宗が、
創設された。
伝教大師最澄は、南都六宗の戒壇とは、別に、新たに、比叡山延暦寺に戒壇を作り
、大乗仏教の戒壇として、僧侶に戒律を授与した。
弘法大師空海は、恵果和尚から直接伝授された真言密教を基に、高野山にお寺を
開いた。
弘法大師空海は、自利利他の思考により、人々のために、治水事業などにも取り
組んだ。弘法大師空海は、戒律については、新たな大乗戒を導入せず、旧来の具足
戒を守ったと言われる。
真言密教の基本として、大日経を取り入れ、金剛頂経を加味した。
大日経の思考は、胎蔵界曼荼羅という絵図で表され、金剛頂経の思考を金剛界曼荼
羅という絵図で表されている。
真言密教は、即身成仏、この身このまま、生きたままで、仏様になれるというすば
らしいものです。




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