牛久成田山 真浄寺
[牛久縁切り稲荷]
住所:〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15 電話番号:029-871-3210
法事,法要,追善供養,供養,回向は、茨城県牛久市にある牛久成田山真浄寺
法事,追善供養,供養,回向
追善とは、死んだ者に福を追って福を生みだし届くよう、生きている者が、善行を修することである。 生きている親類縁者が、僧侶の読経、お斎など、布施をなすなどの,供養,をし、その功徳を回向して、亡者が、成仏するよう仏果の増進をはかる。
供養とは、亡者や本尊に対して、供物を献じ、読経、お斎など、広く布施をなすことを言う。 追善供養により、その功徳は、生きている者と亡者に、回向され、このうえない気持ち、慈悲の心、喜びとなり、成仏する。
亡者は、死んでいるため、自ら、善行も、供養も、何もすることができない。生きている者が、亡者に代わって、供養をし、功徳を生み出して、亡者におくらなければならない。
しかし、生きている者が、追善供養をしても、その功徳の成果のうち、7分1しか、亡者にいきわたらない。残りの7分の6の功徳は、生きている者に与えられる。
亡者が成仏するには、亡者が、生前に、善行を十分に積んでいれば、7分1の功徳でも、生前の多くの善行により、成仏できる。 亡者が、生前に、善根を積んでいないならば、7分1しか与えられない功徳では、生きている者が、亡者のため、より多くの追善供養を積み重ね、功徳が、満ち足りるように行わなければならない。
このように、生きている者が、生前に、信仰を求め、供養や布施に励み、善根を積み重ねることは、生前に、善根を積んでいない亡者のために行っているようだが、結果的に、自らが死んだとき、亡者になったときに、
仏果に趣き向かい、成仏できることとなる。情けは人の為ならずということわざに似ている。一見、他人の為に情けをかける行為は、それは自分の為の行為でもあり、その情けをかけた行為の結果は自分にも回ってくるとうことである。
生前に、善根を積むことを、逆修という。 生きている者は、積極的に追善供養に励み、その功徳を亡者、自らのために、多いに回向ましょう。 先祖を大事にする心、慈悲の心は、自らの心も平穏となり、幸せな気持ちになります。
仏教における輪廻転生とは、人間の一生である、生有(母の胎内に宿る瞬間)・本有(母の胎内に宿ってから死ぬまで)・死有(死んだ瞬間)・中有(死んで亡者となり、次に生まれかわり、生有を得るまでの間)の4段階、すなはち、,四有,を繰り返すことである。
亡者にとって、一番重要なのは、中有(中陰)、すなはち、死亡して、次に生まれること、母の胎内に宿ること,生有,を得られるかどうか、良き生有か、悪しき生有かという問題であ。
七七日、すなはち四十九日まで、七日ごとに、七回、供養を繰り返す。 遺族は、亡者のために、一生懸命、七日ごとの供養に励み、亡者に七日ごとに功徳が与えられ、四十九日までになんとか、このようにして積み重ねられた功徳により、亡者が、四十九日を迎えた日に良い生有を得られるか、あるいは解脱し、天空に昇っていき、東方薬師の瑠璃光浄土、阿弥陀如来の西方極楽浄土、阿?如来の東方妙喜世界、大日如来の密厳浄土、そして虚空蔵菩薩の導きにより涅槃へ向かう。
○詳しくは、お問い合わせください。
■人形供養
文楽人形について、言い伝えがある。
誰もいない2階から、階段をおりてくる足音がする。上を見ると、2階の人形を置いてある場所から、人形の早田八右衛門が、血のついた刀を持ち、血相を変えた、おそろしい顔で、階段をかけおりてきたという言い伝えがある。
人形の佐倉宗五郎が供養せず出演すると祟りがあるので、佐倉宗五郎の人形を出演前に供養すると言われている。
人形の菅相丞は、菅原道真がモデル。 天神さまになられた方である。この人形は、格別大事にする。そうしなくては祟りがあると考えられている。
漁業の神様であるえびす様に気に入られ、えびす様の心を鎮める役割をしていた道薫坊が亡くなった。これによりえびす様の心を鎮める者がいなくなった。
このため、海が荒れた。
道薫坊の人形を作って、えびす様の前で、舞わせたところ、豊漁になった。
えびす様でさえ、人形の道薫坊を人間の道薫坊とみなしたということである。
人形の中に魂が入ると人形が、朽ち果てるまで人形に魂が宿ったままであると言われる。
持ち主のいない、古い人形でさえ、不思議な現象が起きることがある。
人形は、人間がかかわることで魂が宿る。 人間が、かかわらなければ、単なる、本来の姿、物体としての人形にすぎない。
人形師が、人形に手をいれた瞬間、人形の目が開き、、筋肉か躍動し、一人の人間として動き出す。
人形に、人間がかかわると、人形に魂が吹き込まれる。
人形が人間になる。
人間の心と人形の心が、感応する。この状態になったとき、真の意味で、人形に魂が宿る。
人間の精神力を絶頂に達することができれば、人形が動きだすこともありうる。
人形とかかわる者の能力、気持ちの入れ方によっては、人形に魂を入れることができる。
人形の表情も、人形とかかわり方によって、泣いたり、笑ったり、人形の表情が、そのように見えてくる。
人形に魂が入るのは、人形とのかかわり方である。
人形の持ち主の気持ち次第で、人形に魂が入り、人形が人間のようになってくる。
人形は、興味深い存在でもある。 しかし、あくまで、人形は人形にすぎない。人間がかかわりを止めれば、人形に戻る。
魂のない単なる物質であった人形が、生きているように見えてくるのは、人間のせいで、人形のせいではない。
人形を扱う者、人形とかかわる人間の心を投影し、生命が宿ったかのようにう見えてくる。
人の心が人形に投影し、笑ったり、涙を流しているうよ見える。人間自身の心が、人形に反映しているのです。
人形がどのように見えてくるかということが、人間の心とは、いったい何だろうか、ということを考えさせられる契機になる。
人形のような弱い者は、人間が守ってあげなければいけない。反面、人間自身の心の支えにもなってくれる。いわば両思いの関係にある。
日本人は、慈悲深く、又物をそまつにしない。人形もそまつにしない。物を大切にしなくてはいけないという道徳的観念が、心にしみついている。
日本人のこのような特質は、特に人形には魂を宿らせることになる。
人間の心を、投影する人形。 古来より、人形には、魂が宿ることがあると信じられてきた。
そのため、人形供養が行われる。
人形供養の慣習は、大切にしなくてはいけません。
人形供養は、命の大切さ、日本人の優しさ、物言わぬ弱い物に哀れみをかける心、物を大事にする心、仏さまを信ずる心、これらの心を大切にするという意味を持っている。
人形供養は、古くなったり、壊れたり、置く場所がなくなったり、どうしても持ち続けられない人形をゴミとして捨てるにはしのびがたい、供養してあげたいという心が始まりである。
人形供養とは、お寺で、人形の魂を抜いて、感謝の気持ちをこめて供養することである。
可愛がっていた人形、ぬいぐるみを、人形供養をすることで、人間自身、良かったなと安らかな気持ちになるとともに、人形も安らかな眠りにつくことになる。
人形供養の対象となる人形の種別に制限はない。ぬいぐるみ、日本人形、 、フランス人形、ひな人形、五月人形、こけし等、人形の種別に制限はない。
○詳しくは、お問い合わせください。
電話:029-871-3210
お気軽に、お問い合わせください。
電話は、毎日受付ています。
住所:〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15 電話番号:029-871-3210
現在、護摩、水子供養、人形供養、 法事、法要、先祖供養、霊の供養は、日時のご予約により行っています。 電話は、毎日受付ています。
〒300-1211 茨城県牛久市柏田町3260-15
(茨城トヨタ自動車牛久店の向かい側です。)
電話番号029-871-3210
[お知らせ]
人形供養、遺品、仏壇、写真、仏像、形見、その他の物の魂抜き供養は、ご都合の良いときにお越しいただき、境内の人形保管庫に入れておいていただければ、本堂において、供養をいたします。詳しくはお問い合わせください。
[お知らせ]
縁切り稲荷、薬師如来、愛染明王のそばにある、縁切りわら人形、祈願木等は、ご自由にご利用ください。
[お知らせ]
「茨城の怖い話(著者:寺井広樹,一銀海生)」という本に、|牛久縁切り稲荷|についての話が、掲載されました。
真浄寺の鳥居内にお祀りしております鎮守尊は、次の名前で呼ばれる荼枳尼天尊。
境内に祀られている薬師如来尊は、法薬で病いを治してくれる仏様です。
身体、心、性格、人格の病いに適合する法薬を与え、苦しみを取り去り、安楽にさせてくれる仏様です。
境内に祀られている愛染明王尊は、忿怒の形相をして、悪者を追い払う仏様です。根は優しく、良縁成就、夫婦円満など、人と人を結びつけてくれる仏様です。
七福神を参拝すると、七難が消滅し、七つの福が生じます。
七福神のうち、恵比寿様は、日本の神様。大黒天、毘沙門天、弁才天は、インドの神様。寿老人、福禄寿、布袋様は、中国の神様。 真浄寺の弁天様の化身は蛇です。
蛇の力は強い。財福をもたらしてくれると信じ、 心から力を込めて強くお祈りしましょう。
弁天様のご真言、「オン ウガヤ ジャヤ ギャラベイ ソワカ」を唱え続けましょう。弁天様を信仰すれば、たちまちに福に恵まれ、唱えた神呪、真言は、如意宝珠となり、願いは思うままに叶うという。
縁切り稲荷(荼枳尼天(だきにてん))の加持力、自分自身の日頃の行いから生じる功徳力、全宇宙の見えざる強力なパワー。これら三つの力を自分に取り込み、悪縁、悪運の流れを変えます。
愛染明王のご真言、「おーん まか らぎゃ ばぁぞろ しゅうにしゃ ばぁざら さとば じゃく うーん ばん こく」を何度も、何日も、口に出して、唱え続ければ、愛染明王に言霊(ことだま)として届き、縁結び、恋愛成就の願いが叶うと言われています。
真浄寺の文殊菩薩を参拝すると、どうすれば合格できるかという知恵が授けられます。
文殊菩薩のご利益を願い、学業成就、入園・入学、受験・資格試験・昇進試験の合格祈願で参拝者が訪れます。
その後、般若心経、荒神様のご真言「オン・ケンバヤ・ケンバヤ・ソワカ」を七回唱える。 荒神様は、かまど神様。台所という清潔な場所に祀られる神様。不浄な穢れの除去、災いの除去。台所が繁栄すれば家庭も栄える。家内安全、商売繁昌、厄除開運などのご利益があるようお願いする。
縁が切れますようにと、心から何度も何度も願うことが重要です。継続は力なり。縁がきれますようにと願い続けることで、運命の流れが変わるきっかけとなります。縁が切れるようにと心を込めて、口で唱え、ダキニ天にお聞きいただき、赤い色の人形に願いを書きましょう。エイヤッと心から気合いを入れて願い、楊子で藁人形に刺しましょう。