出家・得度、僧侶資格、四度加行、伝法灌頂、阿闍梨、教師資格取得、住職

○僧侶資格を取得、住職となる
住職の仕事、仏の道を歩むことに専念できることだけでも、たいへん幸せなことです。
住職の一般的意味は、お寺に住み込み、お寺を管理し、お寺の行事や所属
僧侶の管理運 営を行う僧侶とされる。
住職は、そのお寺の長であり、主管者である。
住職は、そのお寺に所属する僧侶に対する人的管理もする。
お寺の総合管理者で、総責任者である。
住職は、所属する僧侶を指導する立場にあるため、より厳しい修行姿勢と
生活態度が求められます。住職は、寺の経営、人的物的管理、儀式、檀家対
応などの総合的責任者です。
住職になるには、寺という建物があってはじめて成り立ちます。
お寺を継承するか、お寺を自分で作るか、本山から空き寺の住職に推薦して
らうことで、住職になります。
ほとんどの寺は、先祖代々親族からの世襲により、親族の誰かが、住職にな
ります。
親族が住職である僧侶に比べ、実家がお寺でない人が住職になるには年数を
要すのが通常です。
住職の行動、言動は、回りから注目されます。
住職であることを認識し、より一層の修行と勉強をしなければなりません。
住職は、弟子の僧侶の事相・教相の指導をし、見本となる存在でなければなり
ません。
弟子の僧侶は、住職を仏の道の指導僧、見本として、いつも注目しています。
お寺の経営に困難はつきものです。
住職はそれを乗り越え、お寺を布教の場として、仏教を後世に伝えていかねば
なりません。
空き寺が増えて将来を憂うということが、ニユースでたびたび流れています。
一人の住職が、何件かのお寺の住職を兼務するとか、後継者不足で、空き寺の
管理が不十分だとして社会問題として提起されています。
実の所、在家の僧侶が、空き寺に入り込み、住職になる例は少ないと思います。
そもそも、僧侶は、修行者であり、住職になることが目的ではありません。
大きな寺や本山に勤め、給料をもらう僧侶は、本来の修行ではなく、葬儀、行事、
作務、参拝者対応等で一日が終わってしまうこともあります。
しかも給料は、安いと言われています。
しかし、住職になればこそ、自分の思うまま、身も心も修行に打ち込み、存分
に修行ができるといわれます。
しかし、実の所、大きな寺の住職、大都市の寺を除き、多くの寺は、貧乏暇なしです。
長期の旅行は困難です。
檀家がある寺は、朝晩問わず、急な電話が入ります。
俗世間では、僧侶は、学識経験豊富で、道徳・倫理的に立派な人格と見ています。
世間の見る目にかなう、そのような僧侶でなくては、住職であるべきです。
仏教の教えそれ自体が、この上もなくありがたいのです。
僧侶がありがたいわけではありません。
お寺がありがたいわけではありません。
袈裟がありがたいわけではありません。
仏の教えは、何も知らない人々も、ありがたく思う、本当に尊い教えです。
最上のすばらしい教えが、お釈迦様の教えなのです。
住職は、僧侶としての修行は当然のこととして、お寺の経営者の顔もあります。
檀家が沢山いるお寺であっても、お寺から檀家が離れていく現実は深刻です。
檀家制度とは、お寺に属し、葬式、法事、お墓の管理などをお寺に面倒を見てもい、
檀家は、お寺にお布施を支払うという制度です。
お墓を有しているお寺は永代供養墓の需要も見込まれますが、檀家からの収入
だけに頼っているお寺の住職は、お寺の経営が困難になっていくと思われます。
僧侶には、檀家だけではなく、一切衆生の救済という任務があります。
僧侶には、一切衆生の救済に対するお布施により、僧侶は生活するという原点があり
ます。