グロリア・マカパガル・アロヨ
(Mrs. Gloria Macapagal-Arroyo)
1947年4月5日生
マニラ首都圏サン・ファン町
| 期間 | 学歴 |
|---|---|
| 1964年〜1966年 | 米国ジョージタウン大学に留学 (同大学でクリントン米前大統領と同級生) |
| 1968年 | アサンプション大学商学部卒業 |
| 1978年 | アテネオ大学経済学部修士課程修了 |
| 1985年 | フィリピン大学経済学部博士課程修了 |
| 期間 | 職務 |
|---|---|
| 1973〜1987年 | アサンプション大学講師 |
| 1976〜1987年 | アテネオ大学助教授 |
| 1979〜1983年 | フィリピン大学経済学部講師 |
| 1984〜1987年 | アサンプション大学経済学部長 |
| 1987年 | 貿易産業省局長 |
| 1989年 | 貿易産業省次官 |
| 1992年5月 | 上院議員当選 |
| 1995年5月 | 上院議員再選(トップ当選) |
| 1998年6月 | 副大統領兼社会福祉開発長官に就任 |
| 2001年1月 | 第14代大統領就任 |
| 2004年5月 | 大統領選挙当選(任期は2010年6月まで) |
夫ホセ・ミゲル・アロヨ氏(弁護士・実業家)、2男1女
映画鑑賞、テニス、乗馬、ゴルフ
| 期間 | 訪日歴 |
|---|---|
| 1997年11月 | 外務省招待(当時は上院議員) |
| 2001年9月 | 非公式訪日招待 |
| 2002年5月 | 非公式訪日(日経新聞セミナー「アジアの未来」出席他) |
| 2002年12月 | 国賓訪日 |
| 2003年6月 | 非公式訪日(日経新聞セミナー「アジアの未来」出席他) |
| 2003年12月 | 日ASEAN特別首脳会議出席のため訪日 |
(1)父親はディオスダド・マカパガル第9代大統領(1961〜65年)。
(2)1995年5月の中間選挙では、比の上院選挙史上最多得票(1600万票)を獲得し、トップ当選。経済分野に強く、上院議員時代には経済委員会、通商委員会の委員長を務め、共同提出も含め400以上の法案及び決議案を提出、そのうち輸出振興法、外国投資法を含む37法案が立法化。この他、テレビ番組の司会や新聞のコラムニストなども務め、国民の人気を集めた。
(3)1998年5月の大統領選挙では、当初、大統領選に名乗りを上げたが、組織力不足などの理由から副大統領選に立候補し、9名の候補の中で約50%の得票を獲得して圧勝。副大統領時代、貧困問題の解決のため食糧保障を最も重要視し、農業生産性の向上、低価格での農産物の提供、農業改革及び土地改革に基づく工業化の推進を主張。世論調査では常に高い支持率を維持し、2004年に予定されている次期大統領選挙の最有力候補と目されていた。
(4)2001年1月16日、前年より継続していた大統領弾劾裁判で重要証拠開示が否決されると、市民による抗議デモは「ピープル・パワー2」に発展し、閣僚・国軍・国家警察もエストラーダ政権に対する支持を撤回、1月20日、最高裁は大統領の空席を宣言し憲法規定に従って副大統領であったアロヨの後継大統領(第14代)就任宣誓を執り行った。
(5)大統領就任後、貧困対策を政権の最重要課題として掲げ、農業の近代化、農地改革、雇用創出、反政府勢力との和平交渉の推進等に取り組んだ。2004年5月の大統領選挙については、不出馬の意向を一旦表明したが、10月に改めて出馬を表明。対立候補で国民的人気俳優のフェルナンド・ポー・ジュニア候補を破り当選した。